2005年4月9日土曜日

アフリカ一ヶ月 - 再びヨハネス


この日はヨハネスに夜着き、香港行きは翌日の便なので再びヨハネスで宿をとっていた。トランジットで泊まるだけなので、送迎つきでちょっと安めの「アフリカ・センター」というロッジをネットで予約してあった。そういえばこんな時間に車で移動して大丈夫なのかな、果たして治安は大丈夫なんだろうかとちょっと不安になったものの、迎えに来てくれたホテルのスタッフはフレンドリーで気持ちが良い。次の次のワールドカップが南アフリカになる可能性が高く、そうしたら日本人がたくさん来るんでしょうねという話で盛り上がった。

「アフリカ・センター」の客室はとても可愛くて、リネンもとても清潔だ。ネットやバーの他、ビリヤード、ジャグジー、プールもあって施設は充実している。部屋のTVはケーブルが通っていて、CNNニュースから音楽、スポーツ、映画など何でも見れる様になっている。ちなみに、このロッジはツーリストオフィスにもなっていて、ランドオーバーツアーなどの手配も行っている様だった。こういう場所を拠点にもっと長期で旅をしてみてもよいのかもしれない。ちなみにここのバーでも200~300円くらいで並々とグラスワインを波々とついでくれる。南アはワイン好きにはたまらない。


アフリカ・センターの清潔なベッドで熟睡した翌朝、これもとても気持ちの良い朝食を食べて空港へと向う。いよいよアフリカ一ヶ月の旅が終わってしまった。アフリカは世界観が変わるというけれど本当だなあ。大自然、人の温かさ、地域が抱える様々な問題...自分の知らなかったたくさんの事を見たり知ったりする事が出来た。自分は本当に世界の一部しか見ていなかったんだなと痛感させられる旅だった。

 <ヨハネスブルグで泊まった宿>
AFRICA CENTER


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2005年4月8日金曜日

アフリカ一ヶ月 - 再びナイロビ: ダウンタウンツアー3。~ダウンタウン巡り~

ヘビ園の後は、「時間がないから、かいつまんでおもしろい所をまわるよ。」と、今度はダウンタウンに向った。ダウンタウンは興味があったけれど危険という事で行けなかったので、この市内観光をお願いしてよかったなと感動する。


 
ダウンタウンでは、バナナ市場、


整備工場街、衣類市場、野菜市場、


金物屋街、などなど、


その周辺のスラムなどをまわった。変わったところばかり連れて行ってくれて楽しいなと思ったら、「先月もナイロビにいてフライトまで時間ないって聞いたから、観光名所ははずして変わったところばかり行く事にしたんだよ」とハドソンは言う。どうやら「裏ナイロビ・ツアー」にしてくれたらしい。飛び込みで決めた旅行社だったけど、いい人にガイドに会えてよかった。

「郵便局にも言ってみる?」と言われ行く事にしてみると、どうやらハドソンは自分が郵便を出したかった様だった(笑)。ちなみにケニアの郵便局にはネットカフェコーナーがある。何か不思議な感じだけど、同じメールだからまとめて扱っているんだろうか?
 


 時間が来たので空港に向いつつ、今度は工業地帯を通っていく。「日本のトヨタや三菱もこんな感じなの?」とハドソンに聞かれたので、「ちょと似てるけど、町全体が工場というくらい大きくて、工場の脇に庭があったり、テニスコートや野球場があったりするよ。」とこたえておいた。ケニアでは圧倒的に日本の車が人気なのだそうだ。特に三菱のランサーと、ひと昔のパジェロが人気らしい。昔のパジェロはエンジンが優れていて、ケニアの荒れた道でも頑張ってのぼってくれると評判がいいのだそうだ。

 
空港で別れ際ハドソンにチップを奮発すると、「これで今夜はチキンが食えるよ。」と軽やかに去っていった。偶然の出会いだったけれど、楽しかった。よい思い出が出来た。


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アフリカ一ヶ月 - 再びナイロビ: ダウンタウンツアー2。~アメリカ大使館跡、蛇園~

駅前から抜けるとマタトウー乗り場を抜けてアメリカ大使館跡へと向う。マタトウー乗り場も危険な地域とされていたのではないかと思いつつ、ハドソンが一緒に歩いているので良いかと思いながら通り過ぎていく。マタトウーはナイロビからあちこちに走っていて路線も多い様だけれど、乗務員が行き先と料金を叫んで乗客を集め、満席になったら出発するというシンプルな仕組みなのだ。時刻表、乗り場などは無い。ナイロビのマタトウー乗り場だけあってものすごくたくさんのマタトウーがいるし、運転が乱暴なのでお互い喧嘩したり、賑やかで楽しかった。



マタトウー乗り場を抜けてアメリカ大使館跡に入ると、爆発したものの破片でつくられたモニュメントや、テロの悲惨な現場の写真が展示されていた。このテロは9.11に比べると日本では大きく報道されなかったけれど、はじめに小さな爆発があって、それを見にたくさんの人が集まって来た後にもう一度爆発するというとても悲惨なテロだったのだそうだ。


アメリカ大使館跡の後駅前に止めた車に戻ると、「見て。車が綺麗になってるよ」とハドソンが言う。車を停めた駅前の空き地は洗車場になっていて、その辺にいるバケツを持った人々は洗車屋らしい。「こんな所に車を止めて大丈夫なのかな」と思っていたら、アメリカ大使館跡に行く間駐車場がわりに洗車に出していた様だ(笑)。

アメリカ大使館跡の後はナイロビの中心街をまわり、車中から教会、モスク、ディスコ、電気街、テレビ局など、主要な建物を案内してくれる。Frorida 2000というディスコはとても流行っていて、朝までたくさんのお洒落な旅行者、ケニア人が踊っているのだそうだ。「ナイロビに泊まっている時にガイドしてたら連れてってあげられたんだけど」と言われ、ちょっと残念に思った。

その後はヘビ園に立ち寄った。ここはその名の通りたくさんの蛇が飼育されている。



蛇は嫌いだけれど、大きい蛇、珍しい蛇などいろいろいてなかなか楽しい。蛇の仲間という事でワニや亀、魚などもいて、妙に癒される空間だった。
 

アフリカ一ヶ月 - 再びナイロビ: ダウンタウンツアー1。~マタトウー乗り場~

ナイロビ空港の二階の旅行社ゾーンをぶらぶらしていると、一番奥まった旅行社が何だかアットホームでよさそうな雰囲気だったので入ってみる事にした。このまま暇なのも何だし、短時間のアクティビティがあったら考えてみようかなとフラリと思った。この旅行社は旅行本には乗っていなかったけれど、カウンターのお姉さんが気さくで何だか話がしやすかった。トランジットが5時間半あるなら、3時間半で市内観光をアレンジしてくれるという。値段にしぶっていると「日本人でしょ。ホラ!」とお姉さんにお尻を叩かれ、参加してみる事にした。

この市内観光はハドソというケニア人が担当してた。お姉さん的には「とてもいい人がつかまったわよ」というお墨付ガイドの様だった。ハドソンは、これまであった東アフリカのガイドの中ではとてもイージーでアバウトな感じの人だ。多少英語が理解しきれなくても流してくれるし、友達みあいに接してくれる。「あれが競技場だよ。ケニアのマラソン選手がたくさん走っているけれど、最近は日本人が頑張ってるからお手上げだね。」「マタトウーが乱暴に運転するし、ワーワー言ってうるさいけど、みんな朝から晩まで走り続けてるから疲れてるんだよ。これがナイロビの空気だよ。」と、こんな感じだ。何だか楽しく、妙に心地良かった。


 


ハドソンはナイロビの中心を車内から一通り説明した後、「ちょっと外に出て歩いてみる?」と、ナイロビの駅で車を止めてブラブラと歩き出す。駅はマタトウー乗り場の奥のとてもゴミゴミしたところにあって、ケニア人しか歩いていない。ハドソンがいなかったらこんなとこ来れなかったねと感謝する。


こちらは鉄道のナイロビ駅。

 

 

<ナイロビの空港でお世話になった旅行社>
AMICABRE TRAVEL SERVICE

アフリカ一ヶ月 - 再びナイロビへ。

ケニア旅行のうち、「ナイロビの旅の記録」のリンク一覧です。(一覧の下から一つ目の記録が始まります。)


 
ここから↓↓、「ナイロビの旅の記録」の始まりです^^。
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この日はサデオフとのお別れの日だったので、サファリのチップを渡そうと両替を試みると、「ホテル・アルーシャ」でも、空港でも、US$のTCが両替できないという。どちらもUS$、ユーロ、ポンドの現金しか両替できなくて、それ以外の通貨やTCは出来ないのだそうだ。タンザニアの両替事情は厳しいと旅行本に書いてあったので、もっと$を持ってくるべきだったなあ。サデオフにとりあえずTC渡し、両替が出来なかったら銀行に送金をすると言って別れる事になってしまった。サデオフにはこの一週間とてもお世話になったのに、悪い事をしてしまったと反省する。今度アフリカに来る時は、またサデオフにサファリをお願いしよう。ちょっとバツの悪い気分でタンザニアを離れる事になった。



キリマジャロ空港からは日本への帰路へつくため、再びセスナでナイロビへ戻った。今度は食あたりも引いたのでセスナでの飛行をちゃんと楽しむ事が出来た。セスナは10数人くらいしか乗らないので、操縦席が丸見えだし、通信係がバスガイドの様に挨拶してくれる。セレブな乗り物なのかなと思ったら、意外とアットホームな雰囲気で何だかおかしかった。セスナが上空まで上がると、この日は雨だったのでキリマジャロの山頂は雲に隠れ、裾の方しか見えなかった。キリマンジャロ空港に来たのに、行きは食あたりで、帰りは雨で結局ちゃんとキリマンジャロが見えなかった。残念'(涙)。


 
ナイロビではトランジットの時間が5時間半もあったので、パスポートコントロールから外に出て空港の中をブラブラしてみる事にした。ナイロビの空港は悪質な客引き多い。日本人はカモになりがちなので要注意と言われているけれど、あまりにも暇なのでどんな仕組みになっているのか探検してみる事にした。Arrivalから外に出てみると、やはり客引きがわんさかと寄って来る。「トランジットで空港にいるだけだよ」と言うと大抵の客引きは諦めるけれど、何人かは次はどこかと聞いてくる。ヨハネスだと応えると、「ヨハネスのフライトまでは5時間半あるからナイロビまで行けるよ。ナイロビを案内してあげるよ。」とかなり周到だ。ケニア人は商売熱心だなあと関心する。

ナイロビのArrivalにはATMが二台あって、右側ではシティバンクのカードを使う事が出来た。Arrival側には郵便局もあった。Depatureで郵便局を見かけなかったけれど、ちゃんとあるんだろうか。普通旅行者は帰る時にDepatureで郵便を出したいはずなんだけど。と、どうでもいい事を心配したりした。

Arrivalの一階、二階にはたくさんの旅行者が所狭しと並んでいて、サファリやナイロビ市内のホテルを手配している様だった。空港にいる客引き達の多くはこの旅行社の客引きの様で、到着ロビーで勧誘をしては旅行社のカウンターに連れていく様だ。残りの半分はタクシーの運転手などが、自分で市内観光をしたり、どこかの旅行社に斡旋しようとしているみたいな感じなんだろう。ガイドブックなどに載っている空港でボラれてしまったという人は後者の中の良くない人達につかまってしまったのかもしれない。



※旅の記録の続きは、ページ左下の「次の投稿」をクリックください。

2005年4月7日木曜日

アフリカ一ヶ月 - タンザニア: ホテル・アルーシャへ。


アルーシャはカイロとケープタウンの丁度中間にあって「アフリカの中心」と言われ、タンザニアの副都心的な存在にある様だ。ナイロビと比べるととても規模は小さいものの、ネットカフェ、両替屋、土産物屋、中華料理屋、スーパーなど一通りのものはちゃんと用意されている様だった。

 
 


アルーシャは残り三日間の大移動の体力を温存するため、「ホテル・アルーシャ」というシティホテルに一泊した。


日本で言うとオークラや日航ホテルの様な雰囲気で、どちらかというとビジネスで滞在する人が多い様だ。設備、アメニティ、ギフトショップなどいずれもセンスがよく、美しい庭園があってテラスから眺められる様になっている。久しぶりにバスタブに入ったり、部屋に外線が引かれて自分のPCでネットと接続できるのも嬉しかった。

 

キリマンジャロ近辺で標高が高く寒いはずなのに、庭園の屋外プールでは人が激しく泳いでいる。ここのプールは、涼しくても入れる様に何と温水仕様になっていた。アフリカのホテルはあなどれないと関心した。
 


セレナでは豪華なものばかり食べていたので、この日の夕食はホテル向かいのファーストフードの店で、チキンバーガーを食べてみる事にした。チキンがよいせいか、日本のチキンバーガーに比べてとても美味しい。安食堂もいいけど、ファーストフードで過ごすのも意外と良いなあ。ちなみに、近くのファーストフードに行くとふらふら出て行くと、危ないからホテルのボーイがついてきてくれた。アルーシャでも夜になると人通りが全くなくなり、酔っ払いだけがたむろしている。アフリカの町はどこも物騒で油断してはならないのだと思った。

<アルーシャで滞在したホテル>
New Arusha


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アフリカ一ヶ月 - タンザニア: マサイ村と、ショッピング。

牛飼いマーケットの次は、アルーシャ近くのマサイ村に寄った。ここのマサイ村は、貧しい中で医薬品などを得ようとする女性の団体が運営しているものだという事だった。

 

歌や踊りの他に、マサイの伝統的な家に入れてくれて説明をしてくれる。

 
 
マサイの家は、父親用の大きな部屋、母親と子供用のちょっと小さな部屋、それに赤ん坊用のとても小さな部屋と別れている。マサイも昔の日本みたいに亭主関白の様だった。 
 
 

アルーシャに近づくと、サデオフにお願いして、タンザナイトの店に寄ってもらった。タンザナイトはアルーシャ近辺の丘だけでとれる宝石で、アメリカのティファニー社がプロモーションをかけて以来、希少な宝石として人気を得ている宝石なのだそうだ。もうすぐ資源がつきてしまうので価値があがるらしい。幸運を呼ぶ石でもあるという事だったので、記念に買ってみる事にした。宝石の事はあまりよく分からないけれど、タンザナイトは青い色がとても深く、角度によって様々な光をはなっていてとても趣がある。年齢を経ても長く楽しめそうな石だなと思った。

タンザニアでは旅の終焉に近づいたので、少し荷物になっても良いかなとマコンデを買ってみた。アジアの民芸品は量産のイメージがあるけれど、アフリカはつくり手もクリエイティブなのか、ものによって表情が違ったり塗料の塗り方が違かったりと個性がある。日本に帰ってもアフリカの事を思い出せる様に...と、男女のお面のマコンデと、杖の様に長いマサイの男女の木彫りの人形を買う事にした。タンザニアはディスカウントの交渉も素朴で人情があり楽しい。強気でいくより、可愛くねだった方がディスカウントしれくれるみたいだ。売り子もちょっと頑張りすぎたのか、「マダムー。頑張ったからコーラをおごってよ。」と逆にねだられてしまった。

アフリカ一ヶ月 - タンザニア: タンザニアの小学校と、牛飼いマーケット。

タンザニア旅行のうち、「アルーシャの旅の記録」のリンク一覧です。(一覧の下から一つ目の記録が始まります。)

  • タンザニア: マサイ村と、ショッピング。
  • タンザニア: ホテル・アルーシャへ。

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    アルーシャの近くの小さな町で、サデオフが地元の小学校に連れて行ってくれた。祝日なので小学校は休みだったけれど、サデオフの従妹がここで先生をしているという事で案内してくれた。



    小学校はとても小さくて可愛いかったけれど、教室によっては窓が無かったり、壁が崩れていたり、机が壊れていたり...と、とても荒れてしまっている。


    日本や他先進国の援助でいくつかの学校は綺麗になっているけれど、多くの学校がこんな風にギリギリの中で運営をしていいて、それでも授業料を払えずに小学校で中退しなければいけない子供も多いという事だった。日本は自動的に高校くらいまでは行けるから、本当に幸せだ。

    この日は最終日だったので、サデオフが出血サービスであちこち寄り道をしてくれて、牛買いマーケットにも連れていってくれた。牛飼いマーケットは何百頭の牛が売られている他、出店がでたり、他のものも売られたりとかなり大きなイベントなっていた。


    マーケットの周囲では、売られたばかりの子牛が新しい飼い主のいう事をきかず暴れている。商談が成功したのか、昼間からお酒を飲んでいる人も多く賑やかで楽しかった。

     

    ※旅の記録の続きは、ページ左下の「次の投稿」をクリックください。

    アフリカ一ヶ月 - タンザニア: アルーシャへの道。

    セレンゲティでのサファリが終わると、いよいよ日本へ帰る時が来た。帰るといっても、タンザニアから日本は遠く、、セレンゲティ→アルーシャ→キリマンジャロ→ナイロビ→ヨハネス→香港→成田と、陸路、空路で何度も乗り継がなくてはならない。途中アルーシャ(キリマンジャロ)、ヨハネスでそれぞれ一泊づつする事になっていたので、まだまだ旅が終わるという感じはしなかった。

    セレンゲティから外へと向う道中、昼寝中のオスのライオンに出会う。


     
    このオスのライオンは、お別れの出血大サービスか、めい一杯お腹を出してダラダラとしている。「こんなだらしない姿は滅多に見れないから、実にラッキーだよ」とサデオフは言っていた。


    セレンゲティからンゴロンゴロを経由してアルーシャまでの道のりは、綺麗に舗装されていてとても爽快だった。急に綺麗な道があるので驚いたけれど、この道は日本の鴻池組が施工をしたのだそうだ。きっとODAなんだろうけれど、この辺りの人は「素晴らしい道をつくってくれた」と鴻池組をとても尊敬しているのだそうだ。


    行きしなは食あたりで全く見る余裕がなかったけれど、緑に恵まれた大地、山々、マサイの集落と景観も美しくとても爽快だった。



    タンザニアのマサイはケニアよりも伝統的な生活を送っている人が多い様で、赤いマントをはおった人々を多く見かけたけた。その中でも自転車に乗るマサイ、槍の変わりに傘を持つマサイ、サングラスをかけたマサイ...など、少しづつ現代的なものを取り入れていてとても可愛い。


    この日はタンザニアの祝日だったので、ペイントした顔で道路の脇にたって、サファリの車を驚かせる子供達もいて楽しかった。

    2005年4月6日水曜日

    アフリカ一ヶ月 - タンザニア: セレンゲティ・セレナのプールサイドで。


    この日はバルーン、ヒョウと午前だけでもかなり満喫してしまったので、サデオフと相談の上、午後はセレナロッジでくつろぐことにした。明日はアルーシャへの大移動だし、セレナ・ロッジはとても気に入ったので、最後にロッジを満喫するのもよいなと思った。

     
    セレンゲティのセレナ・ロッジにはプールがあるので、午後はプールサイドで寛ぐことにした。つくりはアジアンリゾートの様だけど、プールの前に海でなく広大なサバンナが広がっていて、鳥や動物の声が聞こえる。半日水にサバンナを見ながらプールに浮かんだり、デッキチェアで寝転んだり...とても癒されて楽しかった。


     
    ちなみにここのプールサイドのバーのフルーツ・パンチ(ジン入)はとても美味しい。フレッシュなフルーツがたくさん入っているのでデザートがわりにもなる。思わず二杯も飲んでしまった。見た目も美味しそうなので周囲のフランス人、ドイツ人達も続々と「あれと同じものを」とオーダーし、しまいにはプールサイドがフルーツ・パンチだらけになった。ヨーロッパ人は意外と周りに影響されやすいんだろうか?
     


    夕方両替したりギフト・ショップに行ったりとブラブラしていると、ホテルのスタッフが何かと話しかけてくる。アジアのリゾートの様な露骨なナンパは無く、アフリカのホテルの従業員は素朴でシャイなので接していてもとても気持ちがいい。ホテルのスタッフにとっても、日本人の滞在客は横柄な態度をとったり騒いだりしないので評判が良いのだそうだ。

     

    <セレンゲティで宿泊したロッジ>
    SERENGETI SERENA

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    アフリカ一ヶ月 - タンザニア: セレンゲティ・サファリ、三日目2。~ヒョウとの遭遇~

    バルーン・サファリが終わって解散の時間になると、サデオフが現れた。バルーンの後もサファリが続けられる様にと、解散の時間に合わせて迎えに来てくれた様だった。

    この日は生後一ヶ月くらいのとてもゾウの赤ちゃんを見かけることができた。ゾウは生まれた時から、そこそこ大きいのかなと思っていたら、赤ちゃんはとても小さい。牛よりもちょっと小さいくらいだ。サデオフの話によると、赤ちゃんを連れたゾウの群れはとてもピリピリしていてとても危険なのだそうだ。



     
    この群れも、人間側にオスの親ゾウが立って威嚇をし、母親ゾウ、兄弟ゾウが赤ちゃんや幼いゾウを囲んでしっかりと守っていた。

     
    その後はなかなかビッグ5も現れなかったけれど、"Very ruccy!"とサデオフが興奮し出した。どうやら近くの木の幹にヒョウがとまっている様だ。サファリで見るとラッキーと言われる動物に、ライオン、チーター、ゾウ、サイ、ヒョウがあり、総称して「ビッグ5」と言われている。この中でチーターとサイを見るのは難しく、更にヒョウは滅多に見れないということだったので、これはとてもラッキーだった。チーターも美しいと思ったいたけれど、ヒョウの毛皮はさらに鮮やかで美しい。体もとても柔らかい様で、木の枝に絡みついている姿はまるで蛇の様だ。予想以上に美しいヒョウの姿に、ただただ感動した。

    アフリカ一ヶ月 - タンザニア: セレンゲティ・サファリ、三日目1。~バルーンサファリ~

    セレンゲティ、サファリ3日目はバルーンサファリに挑戦した。アフリカに来てサファリも何日か経験しているので、このあたりで趣向を変えてバルーンに乗ってみることにした。

    バルーンは日の出とともにスタートするので、AM4:30にモーニングコール、AM5:00~ロッジで集合しつつコーヒーブレイク、AM5:30頃ロッジ発という強行軍だった。ロッジから1時間程車で行くと、半分だけふくらんで大きくなるバルーンが横たわっている。バルーンの籠は横長で、中央の運転主席の両側が8つに仕切られている。そして、その小箱の中に更に二人づつが入る様になっている。離陸する時は籠も人も横倒しになって、気球が膨らんで浮かぶと同時に籠も人も起き上がるという仕組みになっていた。何だか養鶏所の鶏とか蚕になった気分だ。値段が高いので雰囲気も参加者もセレブなアクティビティなのに、離陸する時だけはこんなトボケた姿にならなければならないのがおかしかった。



    バルーンに乗るのは初めてだったけど、思ったより静かに揺れもなく浮かんでいく。上空を高く飛んでセレンゲティを見渡したり、サバンナの草木にかぶるくらい低く飛んでみたりとなかなか優雅だ。

     

    サバンナを走る動物達を上空から眺められるのも楽しかった。途中子供を連れたゾウの群れに出会う。ゾウはバルーンの火が嫌いらしく、子供を守りながら逃げていく。父親らしき大きなゾウがバルーンに向って牙をむいて威嚇するのも迫力があった。


    幸運にもヒョウも見かけることができた。


    1時間の飛行を終えると、バルーンはサバンナに着陸しシャンパンで乾杯を行う。通常は車外に出るのが禁止とされているサバンナに、特別に徒歩降り立てるのは気持ちがよい。

     

    シャンパンセレモニーの後は、これもまたサバンナの真ん中に用意されたテーブルで朝食を食べるというサービスまで用意されていた。この朝食にもシャンパンがついていたり、プレートも盛りだくさんで美味しかったり...。ちょっと贅沢過ぎるかなあと思いつつ、楽しかった。
     

     

    バルーン・サファリでは、最後に飛行完了の証明書まで用意されていた。料金が高いのでかなり迷ったけれど、アフリカで特別贅沢な気分が味わえる楽しい経験だった。


    <バルーンサファリをお願いした会社>
    Selengeti Baloon Safaris