2009年2月22日日曜日

ヨルダン旅行記: ペトラ遺跡 ~ロバに乗って、ペトラ遺跡の奥へ~

Monastery (AL-DEIR)を下ると、ラクダ使いが「追加料金を払えばペトラのもっと奥へ案内するよ」とのこと。メインの遺跡は昨日それなりに見終わっており、夕方の送迎まで時間もあるため、ちょっと値切ってお願いすることにした。

まずはMonastery (AL-DEIR)と凱旋門の間を西側に入った採石場や奇岩がそびえる渓谷、

 
そしてオアシスの様な場所へ。後から調べたところではWadi Siyaghという場所ではないかと思う。

 
その後は.凱旋門から西南へと登り、墳墓群を見た。メインストリートの王家の墓と比べると、素朴な墳墓群。これはこれで味があってよかった。

 
こちらはヘビのモニュメント。こちらも素朴で可愛い。

 
こちら側はトレッキングしている人が結構いて、お互い挨拶しながらすれ違う。ペトラでトレッキングもお洒落でよいなと思った。

その後は夕方まで、心ゆくまでエル・カズネ(Treasury)や王家の墓を眺めたり、露店でお茶を飲んだりして過ごした。この日は砂嵐もなく晴れていて、遺跡を前にたたずんでいても苦はなかった。

 
Valentine Innに戻ってくつろいでいると、ペトラ遺跡からワディ・ムサのValentine Innまで10数キロ歩いて帰ってきたという旅行者たちに出会った。彼らはトレッキングに慣れているそうで、10数キロくらいはへっちゃらとのこと。ただ、ペトラの山にも登ったので帰りはさすがにきつかったといっていた。

この日の夜はワディ・ムサでヨルダンのハマムを体験。トルコの様な大きなサウナはないけれど、垢すりの様に専属の人が体を洗ってくれて、なかなか気持ち良い。アンマンでもハマムに行ってみようと思った。
 

<ペトラで宿泊したゲストハウス>
Valentine Inn

 

ヨルダン旅行記: ペトラ遺跡 ~ペトラの山頂、Monastery (AL-DEIR)へ~

翌日は朝早くからもう一度ペトラ遺跡へ。Valentine Innは朝夕一度づつだけペトラ遺跡への無料の送迎をしてくれる(それ以外の時間に行き来する場合は有料。あるいはペトラの出口付近で自分でタクシーをつかまえる)。この日は前日からValentine Innに泊まっていたので、無料送迎を使うことができた。

この日はペトラ遺跡のもう一つのハイライト、ペトラの山を登ってMonastery (AL-DEIR)へと向かう予定だった。再びシーク、エル・カズネ(Treasury)、凱旋門を通り、一路山の入口へ。早朝で日帰りの観光客が来る前だったので、昨日以上に雰囲気がよかった。

ペトラの山は自分の足で登ってこそ醍醐味があるとのことだけど、想像以上に急な斜面を目前にして、あっさりロバを往復でチャーターすることにした。

ロバをチャーターする場合はもれなくベドウインのロバ使いがつきそってくれて、普通の坂では二人乗り、激坂ではロバ使いが降りてロバを鞭打ちながら前へ前へと進めていく。かなりの激坂で足場の悪いところが多く、途中ロバに申し訳なく思うほどだった。

ロバの上だと視線が高いので、崖の狭間がみえたり私は高所恐怖症気味のため、自分の足で登った方がよかったかなと思ったりした。

頂上もあとひと息という頃、宿で出会った別の旅行者が自力で登っている姿に遭遇。追い越しがてら挨拶すると、ガイドブックには40分ほどの登山と書いてあるけれど、かれこれ1時間近く登っているとのこと。やはりロバで登ることにしてよかったと思った。

山頂につくと、Monastery (AL-DEIR)が現れた。Monastery=修道院というだけあって、女性的なつくり。山頂に突然現れる驚きもあわせ、エル・カズネ(Treasury)とは別の衝撃を与えてくれた。

 
ペトラ遺跡は誰もを魅了するというけれど、入口にエル・カズネ(Treasury)があり、その他の遺跡をくぐりぬけて山頂まで登ると再びご褒美の様にMonastery (AL-DEIR)があり。古代につくられたこの演出の素晴らしさは圧巻だった。

しばらく貸切でMonastery (AL-DEIR)をながめた後、下山。下りは登りより断崖下が見えてもっと怖く...絶景でもあったのに結局登山中の写真はとれず。今度また来ることがあったら、登りだけロバを使おうと思った。

2009年2月21日土曜日

ヨルダン旅行記: ペトラ遺跡 ~ビサンティン教会、その他の遺跡たち~

こちらはビサンティン教会。動物や人、器などが描写されたタイル。奇跡的なまでの状態で、タイルだけが美しく保存されていた。

 
さらに遺跡の奥へと歩いていくと、ベドウインの子供が手まねきをしている。試しに歩いていくと、こんな素朴で可愛い遺跡、

 
更に奥には深紅の街を称する様な、美しい遺跡があった。

 
もっと奥へ行ってみようとしたら、この先は自分たちの住居だけど泊りにきたいかとのこと。この日の宿泊先はきまっているので、残念ながらお断りすることにした。

 
ペトラのエル・カズネに続くハイライト、Monastery (AL-DEIR)40分ほどペトラの山を登らなければならないとのこと。この日は閉館間際のため見送り、明日の楽しみにとっておくことにした。

Valentine Innに戻ると早速チェックイン。お部屋はシングルで可愛かったし、シャワーも指定時間内はお湯が出たけれど、暖房が壊れており朝晩は、部屋の中でも吐く息が白かった^^;。やはり冬のヨルダンの旅にはホテル泊でも寝袋が必需品と思った。

そんなわけで寝ている時以外はストーブのあるダイニングルームにいたのだけれど、それはそれで他の旅行者との交流ができて楽しかった。この日であった旅行者はバックパック旅行に慣れた人、遺跡好きな人、大学で考古学のリサーチャーの仕事をしている人、学生など様々。皆旅行通で、それぞれ旅の情報交換に花を咲かせる。

既にペトラ以外をまわってきたという旅行者いわく、ヨルダン北部のジェラーシュに古代ローマ風の遺跡があり、古代アラブのペトラと別の雰囲気が味わえておすすめとのこと。後半あいている日があるので、そこでジェラーシュに行ってみようと思った。

Valentine Innの夕食はバイキング形式で、ペースト状のヨルダン料理やピタパンの様なもの、外国人向けにアレンジしたものなどメニューが豊富。ちょっと高かったけれど、ビールも飲めて満足だった。
 

<ペトラで宿泊したゲストハウス>
Valentine Inn

ヨルダン旅行記: ペトラ遺跡 ~王家の墓~


インディージョーンズの映画の影響から、エル・カズネ(Treasury)がペトラの全てだと思われがちだけれど、ペトラ遺跡は広く、奥にもたくさんのみどころがあった。

王家の墓がつらなる岩山。こちらは大きな岩山に複数の墓が彫られていて、大変雄大。ベドウインの姿とマッチして、古代のアラブを思わせる様な感じ。

 
王家の墓は時代が違うからか様々なものがあり、こんな風に複数のアーチ型の窟が土台となっているもの、

 
いくらか崩れてしまったけれど、神殿風のものなど、いろいろとあった。

 
王家の墓からの眺め。砂嵐のため、綺麗にとれなかったのが残念なところ。これでもペトラ遺跡の敷地一部。ペトラは大変広い。

 
翼を持ったライオンの神殿、.凱旋門。時間とともに遺跡が崩れてしまったのは残念だけれど、それはそれでノルスタジックな感じでよかった。

ヨルダン旅行記: ペトラ遺跡 ~インディージョーンズで世界を魅了した、エル・カズネ(Treasury)~

シーク(Siq)の回廊を抜けて現れたエル・カズネ(Treasury)。この感動は、延々続く岩盤渓谷のシーク(Siq)1キロ強歩いならではのこそ。誰もが探検家、インディージョーンズになれる幸運な機会。

 
無骨な岩盤の渓谷とは対照的に、エル・カズネ(Treasury)は大変繊細で、神秘的な状態を守っていた。圧倒され、しばらくその場にたたずんだ。

 
エル・カズネ(Treasury)は築かれた時期は不明ではあるものの、王家の墳墓であったであろうとのこと。中は劣化しているものの表面は大変美しく、繊細な彫刻がほどこされていた。

これを見るためだけにヨルダンに来るといっても過言ではないというのは大変うなずける。

エル・カズネ(Treasury)はこの日の帰りがけ、翌日の生き返り両方見た。何はともあれ素晴らしいのだけど、朝や夕方、日帰りの観光客が出入りする前後はすいていて、日差しの感じもよく、格段にによかった。

 正面でしゃがんでしばらく眺め、その後はエル・カズネ(Treasury)の迎えの出店でお茶を飲みながら見学。この出店は結構高かったけれど、エル・カズネ(Treasury)を眺めているだけで満足だった。

ヨルダン旅行記:ペトラ最寄りの街’ワディ・ムサ’、ペトラ遺跡への入場、シークの回廊へ

ペトラ行きのバスは実際はペトラ遺跡まではいかず、最寄りのワディ・ムサで終点。ペトラ遺跡入口のあたりにはホテルはあまりなく、10数キロ離れたワディ・ムサにホテルやゲストハウスや集落がある。そんなこともあってバスはワディ・ムサ行きの様だった(ただし、ペトラ観光の日帰りバスツアーというのもあり、そちらはペトラ遺跡入口まで直行とのこと。

ワディ・ムサにつくとバスは一通り主要ホテル、ゲストハウスが集まる集落へポツポツととまる。日本のスキー場行きのバスが、宿泊先にあわせてポツポツとまってくれる様な感じ。私はしつこいほど運転手に宿泊先をつげて、確実にとまってもらう様にした。

ペトラで宿泊したのはValentine Innというゲストハウス。ロンリープラネットで、バックパッカー向けながらシングルルームがあることをみて、何となくここがよいかなと泊まってみることにした。

Valentine Innで荷物を降ろすと早速ペトラ遺跡へ。ワディ・ムサから10数キロ離れているというので、車を手配してもらう。朝夕ペトラへの送り迎えがあるそうだけど、該当時間外についたので、別途料金。アンマンからのバスに同乗していた他のバックパッカーと相乗りできたので、割り勘でそれなりに手頃にすませることができた。

ペトラ遺跡の入口へつくと、まずは入場料を支払い。かつては学割があって、私は当時留学して学生だったので学生証を出してみたけれど、残念ながら学割はなくなったとのことだった。この日は既に16時頃で、翌日もペトラをじっくりまわる計画だったので、二日券を購入した。

ペトラはアンマンから日帰りで観光する人もいる様だけど、遺跡は結構広く、エル・カズネ(Treasury)に続くハイライトのMonasteryは岩山をかなり登る必要あるため、一泊する方がじっくり見学できると思った。

遺跡の入口からしばらくはこんな荒野の様なところを歩く。アンマンから南下した頃には暑かったけれど、そこからペトラに上ると再びアンマンに似たくらい寒かった。冬なので風が砂嵐がすごく、帽子をかぶらないと髪がバリバリに。サングラスで砂風をよけてなんとか前進する。夏は夏で暑くて大変だそうで、ヨルダンはきっと秋か春にくるのがよいのだろう。
 
 
さらに遺跡へと地質断層の渓谷、シーク(Siq)。ペトラは「深紅の街」とも言われているそうで、地層の色の変化が美しい。シークは地殻運動や、水の侵食によって削られた自然の地質断層の渓谷。ペトラが遺跡になる頃には、近隣にダムがつくられ水路は別の流れがつくられたととのこと。


全長1キロ強、幅は狭いところでは3メートル、高さは約90180メートルとのこと。スイスの探検家が紹介するまで、この遺跡が守られていたのは、この回廊があってこそとしみじみ痛感する。

途中、時代を思わせるコスチュームを着た人がいたり。インディジョーンズの様にラクダやロバにのって、シークからペトラのハイライト、エル・カズネ(Treasury)へかけぬける感動を味わいませんか、という売り込みがあったり

 

その他、コインを岩の断崖の窪に投げ込めば幸運になれるというポイントがあったりした。

シーク(Siq)を歩くこと1キロ強。岩の回廊の間から、ペトラ遺跡のハイライト、エル・カズネ(Treasury)が少しづつ姿をのぞかせる。あらかじめ評判を知っていた自分すら、この感動はいいつくせない。

 
発見したスイスの探検家(インディージョーンズのモデル?)の感動は、想像もつかないものだったろう。もしも生まれ変われたら探検家になりたい^^。



<ペトラで宿泊したゲストハウス>
Valentine Inn
 

ヨルダン旅行記: アンマンからペトラへ

翌日は朝早くからヨルダンの旅のハイライト、ペトラ遺跡へと向かった。

アンマンからペトラへは、アンマンの南バスターミナルからペトラの最寄り駅「ワディ・ムーサ」行きのミニバスを利用する。

この日も土砂降りだったため、まずバスターミナルまで車で行こうとしたところ、ホテルのおかかえ運転手はいっぱいで「通りに出てタクシーを捕まえた方が早いよ」とのこと。通りでずぶぬれになるとのこと15分、ようやくタクシーを捕まえてバスターミナルへ。

バスターミナルには標識がなく、ヨルダンはホテルなど観光客向けの施設以外は英語が通じない。とりあえず出会う人々に「ペトラ」「ペトラ」と言ってみたら、何とかペトラ行きらしいバスにたどり着いた。

ミニバスは満席になったら発車という仕組みの様だった。発車まで待つこと40分くらいかかったけれど、ガイドブックでペトラの全容を下調べしながら時間はすぎていった。

ヨルダンのバスは男女別々に座る様になっている様で、私はヨルダンの女性と相席。ヨルダン人は意外とフレンドリーで、言葉は通じないものの何かと声をかけてくれた。

 
ペトラへ向かいしばらく南下すると、アンマンでは土砂降りだった雨がみるみる晴れて来る。気温も日本の初夏くらいにあがって、着込んでいた上着を次々と脱ぐ。23時間ほどしか走っていないのに気温差が随分変わることに驚いた。この時点では、夏服で十分OKな状態に。昨晩はダウンを着て寝ても寒かったのに。数百キロほどの区間で夏と冬が同時に体感できる...不思議な国ヨルダン。

2009年2月20日金曜日

ヨルダン旅行記: アンマンのバジェットホテル ‘PALACE HOTEL’

ヨルダンのアンマン空港についたのは23時頃だった。想像していた以上に寒く、日本の12月の頭くらいだった。中東なので常夏かと思い夏服だけ準備していたところ、旅行前日に届いたロンリープラネットで、アンマンなどヨルダンの北部は冬があって日本に順ずるくらい寒いことを発見。あわてて冬服もつめこんできてよかった。

予想以上に穏やかな街の雰囲気。
 
 
ヨルダンは2月が雨季だそうで、寒い上、ホテルにつく前に土砂降りの雨が降り出した。ホテルから空港に迎えをお願いしていてよかった。

アンマンではPALACE HOTELというホテルに泊まった。お湯のシャワーが出たり、ジェラーシュなどへの車の手配をしてくれたり。ヨルダンのバジェットホテルの中ではそれなりに施設が整っていた。

このホテルに宿泊中、世界一周旅行中の日本人カップルと会った。彼らはアンマンのもっと安いホテルに泊まっていたのだけれど、雨漏りがひどく暖房もきかずあまりに寒いため、PALACE HOTELに避難してきたとのこと。よく見比べて探してきてよかった^^。

ヨルダンのバジェットホテルは深夜は暖房をきってしまう様で、夜中は大変寒い。初日から風邪をひいてはと、フロントに電話して追加の毛布をもってきてもらった。それでも寒いので、さらにダウンを着て寝ることにした。

後日知り合ったドイツ人旅行者によると、この辺ではエコノミーホテルが夜暖房をきるのは普通なので、ヨルダンや紅海周辺の国を冬に旅する場合はたとえベッドがあるところに泊まる場合でも寝袋は必須とのこと。今度は寝袋を持ってこようと思った。
 

<アンマンで宿泊したホテル>
PALACE HOTEL

ヨルダン旅行記: 旅のはじまり


2009年の2月、ヨルダンに行ってみた。その頃私はイギリスに留学していたのでヨルダンは近く、飛行機で5時間くらい。日本からは簡単に行ける距離でもないため、この機会に行ってみることにした。