2009年2月21日土曜日

ヨルダン旅行記:ペトラ最寄りの街’ワディ・ムサ’、ペトラ遺跡への入場、シークの回廊へ

ペトラ行きのバスは実際はペトラ遺跡まではいかず、最寄りのワディ・ムサで終点。ペトラ遺跡入口のあたりにはホテルはあまりなく、10数キロ離れたワディ・ムサにホテルやゲストハウスや集落がある。そんなこともあってバスはワディ・ムサ行きの様だった(ただし、ペトラ観光の日帰りバスツアーというのもあり、そちらはペトラ遺跡入口まで直行とのこと。

ワディ・ムサにつくとバスは一通り主要ホテル、ゲストハウスが集まる集落へポツポツととまる。日本のスキー場行きのバスが、宿泊先にあわせてポツポツとまってくれる様な感じ。私はしつこいほど運転手に宿泊先をつげて、確実にとまってもらう様にした。

ペトラで宿泊したのはValentine Innというゲストハウス。ロンリープラネットで、バックパッカー向けながらシングルルームがあることをみて、何となくここがよいかなと泊まってみることにした。

Valentine Innで荷物を降ろすと早速ペトラ遺跡へ。ワディ・ムサから10数キロ離れているというので、車を手配してもらう。朝夕ペトラへの送り迎えがあるそうだけど、該当時間外についたので、別途料金。アンマンからのバスに同乗していた他のバックパッカーと相乗りできたので、割り勘でそれなりに手頃にすませることができた。

ペトラ遺跡の入口へつくと、まずは入場料を支払い。かつては学割があって、私は当時留学して学生だったので学生証を出してみたけれど、残念ながら学割はなくなったとのことだった。この日は既に16時頃で、翌日もペトラをじっくりまわる計画だったので、二日券を購入した。

ペトラはアンマンから日帰りで観光する人もいる様だけど、遺跡は結構広く、エル・カズネ(Treasury)に続くハイライトのMonasteryは岩山をかなり登る必要あるため、一泊する方がじっくり見学できると思った。

遺跡の入口からしばらくはこんな荒野の様なところを歩く。アンマンから南下した頃には暑かったけれど、そこからペトラに上ると再びアンマンに似たくらい寒かった。冬なので風が砂嵐がすごく、帽子をかぶらないと髪がバリバリに。サングラスで砂風をよけてなんとか前進する。夏は夏で暑くて大変だそうで、ヨルダンはきっと秋か春にくるのがよいのだろう。
 
 
さらに遺跡へと地質断層の渓谷、シーク(Siq)。ペトラは「深紅の街」とも言われているそうで、地層の色の変化が美しい。シークは地殻運動や、水の侵食によって削られた自然の地質断層の渓谷。ペトラが遺跡になる頃には、近隣にダムがつくられ水路は別の流れがつくられたととのこと。


全長1キロ強、幅は狭いところでは3メートル、高さは約90180メートルとのこと。スイスの探検家が紹介するまで、この遺跡が守られていたのは、この回廊があってこそとしみじみ痛感する。

途中、時代を思わせるコスチュームを着た人がいたり。インディジョーンズの様にラクダやロバにのって、シークからペトラのハイライト、エル・カズネ(Treasury)へかけぬける感動を味わいませんか、という売り込みがあったり

 

その他、コインを岩の断崖の窪に投げ込めば幸運になれるというポイントがあったりした。

シーク(Siq)を歩くこと1キロ強。岩の回廊の間から、ペトラ遺跡のハイライト、エル・カズネ(Treasury)が少しづつ姿をのぞかせる。あらかじめ評判を知っていた自分すら、この感動はいいつくせない。

 
発見したスイスの探検家(インディージョーンズのモデル?)の感動は、想像もつかないものだったろう。もしも生まれ変われたら探検家になりたい^^。



<ペトラで宿泊したゲストハウス>
Valentine Inn