2000年5月3日水曜日

シチリア一週間: セリヌンテの遺跡。

カステルヴェトラーノを経由してセリヌンテに着く頃には、ブルマンも主要幹線のものに比べると小さく古くなり、バス停にはタクシー乗り場もなく。こんなに奥に来てしまって果たして帰れるのだろうかと、つい心配になったりした。地元の人たちに遺跡やホテルへの行き方を聞くと、「タクシーを使わないといけないし、もう夕方近くになるからその場所にいくのは明日にしたら?」と言われる。「ちなみにタクシーのつかまえ方は?」と聞くと、「知らない」と明るく笑って去っていった。恐るべしイタリア人…。

やむを得ずおまわりさんに頼るとタクシーを呼んできてくれた。この町には全然タクシーがいないなと思っていたら、それもそのはず…。シチリアの地方の町ではタクシーの車体に目印となる様な看板やペイントがなく、普通の乗用車の状態で公認タクシーとしてのIDの様なものだけもって営業しているのだそうだ。だから普通の車とみわけがつかない。さっきバス停で近寄ってきた白タクらしき人々が実は公認のタクシーだということが分かった(恥)。

タクシーのお兄さんはとてもご機嫌で、「日本人がセリヌンテにくるのは久しぶりだ。こんなに美しいところなのにあまりやって来ない。ここの遺跡のすばらしさを是非日本に伝えてほしい。」と、エリチェのバス運転手と同じ様なことを言っていた。運転手は興奮して安宿を探して値切ってくれた上、「明日知り合いのおばあさんをパレルモまで送るので、2000円くらい出してくれたら同乗させてあげるよ」と言ってくれた。セリヌンテからブルマンで戻るには、再びカステルヴェトラーノ、トラパニと二回も乗り換えなくてはいけない。ブルマンだと乗り継ぎ時間を含めると丸一日かかってしまうが、自動車で直行すれば2時間半くらいでついてしまう。このドライバーには本当に感謝した。

宿はダブルで一泊3000円くらいのペンションで、素朴だけどシャワーもあり、こざっぱりしていた。遺跡までは少し歩くというころで、宿の息子さんがベスパにのせていってくれた。息子さんは20歳くらいの若者で、私をベスパに乗せていたために地元の若者たちに「日本人の娘を乗せているな」と道々はやしたてられて真っ赤になっており、恐縮してしまった。イタリア人男性というとナンパなイメージがあるけれど、シチリアの男の子はとてもシャイな人が多い。

セリヌンテのアクロポリスは、青い海と草原の中に建っていた。本土の遺跡の様にツーリスト用の策も掲示物も何もない。



シチリア大自然の中に、悠然とそびえたっていた。ギリシャの都市として栄えた時代が長かったということで、イタリアというよりはギリシャを思わせる遺跡だった。


これだけ雄大なアクロポリスの背景に海が見える景観というのはなかなか見れるものではない。まるで紀元前の昔にタイムスリップした様な世界だった。苦労してきて本当によかったと、心の中でオランダ人夫婦に感謝した。