2000年5月7日日曜日

シチリア一週間: 旅の終わり。

ナクソスからカターニャへ出て、シチリア島に別れをつげた。帰りにミラノで一泊してレストランにもいったけれど、ミラノではあの新鮮な魚や、人のあたたかさを味わうことはできなかった。これまでヨーロッパには何度か行ったけれど、人、自然、食と.シチリアは群を抜いてすばらしかった。



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2000年5月6日土曜日

シチリア一週間: ARATHENA ROCK'S HOTELのプール、ディナー。

この日はとても暑かったので、早々にタオルミーナを引き上げ、ARATEHNA ROCK HOTELのプールでのんびりすることにした。プールの目前は荒々しい岩場の海岸で、とてもドラマチックな雰囲気だった。


 日本ではあまり知られていないこのホテルだけど、実はオーナーの甥が日本人女性と結婚している様で日本人にはとても好意的で、スタッフもとても親切だった。。ちょうど私の滞在中にこの日本人女性が来ていたので、一緒に夕食を食べたり、イタリアでの暮らしについて話を聞かせていただいたり、楽しく過ごすことができた。
 
ディナーはシチリアらしく魚料理を満喫。大変美味しかった。


<ジャルディーニ・ナクソスで滞在したホテル>
ARATHENA ROCKS HOTEL


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シチリア一週間: タオルミーナ。


ホテルの部屋に荷物をおき、再びタオルミーナに向う。ホテルからタオルミーナへのシャトルバスが運休だったのでオーナーの息子さんがベスパでタオルミーナまで乗せていってくれるという。断崖絶壁をベスパでかけぬけるのはちょっと恐かったけれど、眺めは絶景で本当に素晴らしい。。息子さんにお礼を言うと、「これがシチリア流です」と言って去っていった。うーん、さすがイタリア人はかっこいい。

 

タオルミーナの神殿は高台にあったので、眺めもすばらしく、セリヌンテとまた違った情緒があった。シチリア一の名所と言われるだけあってたくさんの人がいたけれど、可愛いみやげ物屋、ギャラリーをぶらつくのも楽しい。カフェやレストランは皆眺めがよくで洗練されているので、とてもセレブな気分にもなれた。
 

シチリア一週間: ジャルディーニ・ナクソス、ARATHENA ROCK'S HOTELへ。

オレンジ園を去る朝が来たので、オーナーも私も別れを惜しみ、料金を支払った。素泊まり一泊数千円だと思っていた料金は、三泊で数千円だという(ダブルなので、二人三泊でも数千円円)。日本で紹介されている農園滞在は高いところばかりだけど、こんな低料金のところもあるんだなと思わず感動する。

オレンジ園を出ると、昨日下見に行ったジャルディーニ・ナクソスへと向う。ナクソスは海岸沿いの美しいビーチリゾートだ。ホテルの一軒一軒がとても離れて物色しづらいので、はじめからガイドブックであたりをつけたARATHENA ROCHというホテルへと直行する。飛び込みで行ったけれど、これがまたとてもよいホテルで感動する。



タオルミーナのホテルと比べると多少素朴さはあるものの、アラブ調の調度品が置かれ、とてもセンスのよいところだった。


こちらも閑散期だということもあり、安く泊まる事ができた。部屋からの眺望は最高で、素晴らしい海の景色が見えた。シチリアは良いなあ、と再び感動する。


ホテルには岩場のビーチもあり、夏になったら岩場でシュノーケルも楽しめるのだそうだ。シチリアはやはり夏に来た方がよいね。またもう一度来よう、と思った。



<ジャルディーニ・ナクソスで滞在したホテル>
ARATHENA ROCK'S HOTEL

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2000年5月5日金曜日

シチリア一週間: タオルミーナでディナーを。

シチリア旅行のうち、「タオルミーナ、ジャルディーニ・ナクソスの旅の記録」のリンク一覧です。(一覧の下から一つ目の記録が始まります。)    

ここから↓↓、「タオルミーナ、ジャルディーニ・ナクソスの旅の記録」の始まりです^^。
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農園ではエトナ山を眺める事以外に何もないので、駅で電車に乗ってタオルミーナまで行ってみることにした。農園の次はタオルミーナに行く予定だったので、ホテルの下見がてら夕食でも食べてこようと思った。

はりきって駅まで行くと、駅員さんがとても残念そうに「今日はフェスタ(祝日)だよ」と言っていた。イタリアに行った人なら常識らしいのだけれど、フェスタになると電車の本数が3分の1くらいに減ってしまうのだそうだ。Ripostoはとても小さな駅なので、その日は3回くらいしか電車が止まらない。うなだれる私に駅員さんたちは、私を慰め、次の電車が来るまでの2時間の間、話し相手になってくれた。イタリア人は少しくらい言葉が通じなくても明るくどんどん話す。ジェスチャーが大きい事もあってか、イタリア語が分からなくてもなぜか通じてしまうのが不思議だ。




タオルミーナの駅はTaorumina-Jardiniという名前だった。タオルミーナとは駅から15分ほど上った断崖絶壁の上のことで、駅の近くは、本当はジャルディーニ・ナクソスという街なのだそうだ。タオルミーナは映画にも出てきたのであまりにも有名だけれど、イタリア留学中の友人が「滞在するならかわいくて静かなジャルディーニ・ナクソスの方がいいよ」と言っていたのを思い出した。

ヨーロッパ人は高いところが好きだというけれど、タオルミーナの断崖絶壁は本当にすごい。実は私は高所恐怖症なのだけれど、それでもじっと見入ってしまう程景色はすばらしかった。ホテルやレストランも他のシチリアの地域とは比べ物にならない程洗練されている。それだけに値段も恐ろしく高い(涙)。今までの土地の紹介だと、シチリアは何もかも安い様に聞こえてしまうかもしれないけれど、タオルミーナだけは別格で、レストランは2倍くらい、ホテルは3倍くらいの値段だった(!)。友人のすすめ通り、やはり宿はジャルディーニ・ナクソスにしよう、と固く決心する。



 
タオルミーナについた頃には日が暮れてしまったので、夕食だけ食べて農園に戻ることにする。神殿はみれなかったけれど、またナクソスから日帰りでくることにしよう。



※旅の記録の続きは、ページ左下の「次の投稿」をクリックください。

シチリア一週間: アグリツーリズム体験、ワインを買いに。

バールでパンを買ったり八百屋で果物を買ったりすることはできたけれど、農園の周辺にはレストランや食堂は無かった。「ここでは地元の料理は食べられないなあ」と残念に思いつつ、「これだけぶどう畑があるなら地元のワインくらい売っているのではないか」という考えが浮かんだ。バールのお姉さんに聞いてみると、確かに近くに地元のワイン屋があるという。そしてその会話を近くで聞いていた農家の青年が、そこまでトラックで乗せていってくださることになった。シチリア人は本当に親切だ(涙)。

「地元のワイン屋」ってフランスのシャトーみたいな所なのかなとワクワクしていると、小さなぶどう園の門の前でトラックが停まる。そこには「Locale Vino」という看板を掲げた石造りの小屋があって、呼び鈴を押すと紳士が出てきてくれた。小屋の中には二つの大きな樽があって、木の樽には赤ワイン、プラスチックの樽には白ワインが入っているというシンプルなつくりの様だった。「『地元のワイン屋』って観光用のシャトーではなくて、地元の人たちがワインを買う場所ってことなのね」と、思わず感動する。



ワインは上司へのお土産に買うつもりだったので「瓶に入ったものは?」と聞くと、はかり売りしかないという。「日本に持って帰りたいんです」と言うと、ペットボトルに入れてくれて「蓋をテープでしっかりとめれば大丈夫」と言っていた(笑)。結局飛行機に乗せられないので農園で飲んで終わったけれど、樽から汲みたてのこのワインは本当に美味しかった。1ℓ400円くらいだったけれど、とてもふくよかで香り高く美味しい。このあたりのワインはエトナ山の肥沃な土地とシチリアの太陽の恵みを受けた「エトナワイン」として、とても人気があるそうだ。また思いがけない感動に出会えた事、、そしてこの親切な農家の青年にとても感謝した。

シチリア一週間: アグリツーリズム体験、オレンジ農園の散策。

翌朝、明るくなってみると、GIADAはオレンジ農園だということが分かった。あたりは一面オレンジの木で何もない。昨晩GIADAがなかなか見つからず、タクシーの運転手さんに「日本からこんなところに何しに来たんだ」としきりに不思議がられたけれどそう言うわけも分かる...と、思わず納得する。


GIADAの後ろではエトナ山がそびえていて、ゆらゆらと煙をたなびかせている。海のそばに山があって、何だか八海山みたいだな、と思った。GIADAの敷地はとても広く、奥の方は林の様になっていたり、ジャガイモ畑になっていたり…。どこまでも敷地が続いていて、遭難してしまうのではないかと思うくらいだった。


小腹がすいたのでオーナーのところへ行ってみるとGIADAは食事のサービスはしていなくて、宿泊客は皆、自炊をするのだという。アグリツーリズモは食事付のホテル型と、自炊するアパート型に分かれる。ここは後者のタイプの様だった。他の滞在客は家族連れが多く、ここを別荘がわりに拠点にして、車でエトナ山やタオルミーナをドライブしたり、夏は海水浴をしたりして楽しんでいる様だった。私は車もなかっので移動が大変だったけれど、複数で来てレンタカーをかりてここを拠点にあちこに行くのも楽しいのかもしれない。

私は実は料理が出来ないので、オーナーに打ち明けると、近くにバールや八百屋があるし、駅から電車に乗ってタオルミーナに行けば、レストランはたくさんあるよと言っていた。「ちなみに、畑のオレンジならいくらでも食べていいよ」とも言ってくれた。ここのオレンジはもちろんシチリアのブラッドオレンジで、これは日本のスーパーで売っているのとは比べ物にならないくらい瑞々しい。お腹もすいていたので思わずガツガツ食べてしまった。

ご飯らしきものも食べたいなとバールや八百屋に向かってトボトボ歩いていると、ジャガイモ畑で農作業をするおじさん達が「ボンジョルノー」と集まって来る。このあたりではアジア人が珍しい様で、おじさん達は「持っていけ。持っていけ。」と、ジャガイモをたくさん袋につめてくれた。「実は料理ができなくて」と話をしてもどんどんジャガイモをつめてくれる。「ジャガイモを水にさして料理すると何ともうまいよ」というらしきことを言っていた。結局ジャガイモは調理できなかったのでオレンジ園のオーナーにあげてしまったけれど、シチリア人は親切だな...と感動した。

2000年5月4日木曜日

シチリア一週間: アグリツーリズム体験、オレンジ農園へ。

ミラッツオの港に戻ると、北西の町メッシーナへブルマンで向かい、さらに電車に乗り換えて東部の海岸を南下する。その日はタオルミーナの近くのRipostoという小さな町にアグリツーリズム(農家滞在)の宿を予約してあった。エオリエに行って遅くなってしまったので電話をすると、やはりオーナーは英語が話せない。もしかしてと思い、ドイツ語で話してみるとドイツ語は話せる様だった。

GIADAは大きな農園の中にあったので、タクシーでたどりつくのにかなり苦労した。GIADAについた頃にはもう21時頃になっていてあたりの農園地帯は道も細く、街頭もなく真っ暗だったので、私もタクシーの運転手もとても不安な気持ちでいっぱいだった。何とかGIADAにたどりつくと、ご主人が出てきて、片言のドイツ語で大歓迎の意を表現してくれた。イタリアの農園滞在(アグリツーリズモ)も最近は日本でも取り上げられて知られつつあるけれど、GIADAはガイドブックにのっている様なところではないので、日本人客が初めての様だった。

農園滞在の客室は、シンプルだけど清潔でとても意心地がよかった。シャワーはもちろん、キッチンまでついている。シチリア前半はあちこち動きまわったけれど、ここではのんびりできそうだなと熟睡した。


 
<Ripostoで宿泊した農家>
GIADA di Salvatore Pennisi

シチリア一週間: ヴォルカノ島周遊ボート。

海岸線を自転車でグルグル走っていると、岬からさらに小さなボートが出ているのを見つけた。ヴォルカノ島を周遊し、海からこの島の自然をながめられるのだということだった。船賃は千数百円だったし、高速船の最終便までまだ時間があったので、乗ってみることにした。ヴォルカノ島(=火山島)というだけあって、海岸線から見る硫黄岩や地層やとても迫力があって変化にとんでいいる。自然に恵まれた素晴らしい景観だった。


この周遊ボートには、お約束の洞窟訪問までついていた。



「青の洞窟」程ではないと思うけれど、自然で出来た洞窟はとても美しい。


道中、すれ違う漁船は必ず手をふってくれる。島のひとたちのあたたかさが伝わってくる。


港で最終便の出発まで時間をつぶそうとカプチーノを飲んでいると、思いがけず日本人の若い夫婦にあった。「こんなところまでくる人もいるんですねえ」と、話をすると、二人はリパリ島に滞在しているという。その前にはトラパニからエガディ諸島に渡って滞在もしたということだった。イタリアには年に一度来ているそうだけれど、「イタリアが好きになればなる程、こういう自然のままの姿が残されたところにくる様になるんですよね」とおしゃっていた。

シチリア一週間: ヴォルカノ島へ。


シチリア旅行のうち、「エオリエ諸島、オレンジ農園滞在の旅の記録」のリンク一覧です。(一覧の下から一つ目の記録が始まります。)
 
ここから↓↓、「エオリエ諸島、オレンジ農園滞在の旅の記録」の始まりです^^。
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 ミラッツオ駅はとても小さくて何もなかったけれど、10分ほどバスで行ったところにある港は意外に大きく栄えていた。エオリエへはとても大きな高速船が頻繁に出ている。心配するまでもなく、すぐに出発する船の席を押さえることができた。高速船の中は、イタリア本土から来たらしき若者、高校生、中学生、そしてボルカノ島でトレッキングをするらしき人々あふれていた。高速船は普通の日本の遊覧船くらい大きく、そこに賑やかなイタリア人が目いっぱいつめこまれていたので、大変な大騒ぎだった。

エオリエ諸島は7つの島からなっているけれど、小さな島も多いので、高速船は最も大きなリパリ島、火山で有名なヴォルカノ島だけに停まる。両方まわる時間がなかったので、ドイツ人マダムにすすめられたヴォルカノ島にいくことにした。



ヴォルカノ島の目玉は活火山のグラン・クラテラーレなので、本格的なトレッキングの服装をして山頂に向かう旅行者も多かったけれど、ドイツ人マダムたちの話では港の周辺も十分火山気分を楽しむことができるという話だったので、自転車をレンタルして周遊する事にした。確かに港のそばには硫黄岩がごろごろとしていて十分火山気分満載だ。日本だったら高い山の山頂にありそうな硫黄岩が、海岸沿いにあって、何だか不思議な光景だった。


 海沿いにはラゲット・ディ・ファンギという天然の泥温泉があって、これもこの島の目玉のようだった。海岸に温泉があるので、ビーチと温泉が数メートルしか離れておらず、海水浴と温泉が両方楽しめる。イタリア人たちがとても楽しそうにはしゃいでいたので、水着を持ってこなかったことをとても後悔した(涙)。


 

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シチリア一週間: 再びパレルモへ。

翌朝、約束通り昨日のタクシードライバーが迎えにきてくれた。途中、病気のおばあさんを拾い、パレルモへと向かう。セリヌンテからパレルモまで普通にタクシーを使ったら数万円はするだろう。おまけにセダンの車だったので、バス以上に乗り心地も快適だった。おばあさんを送るついででなので、2000円でいいよと言ってくれた運転手にとても感謝する。タクシードライバーは英語が話せなかったけれど、ドイツ語で会話をする事ができた。。シチリアは田舎に行けば行くほどドイツ語を話す人の方が多く、ドイツ語が話せると重宝する。大学時代、ドイツ人の教授たちににこってりしぼられた事を今になって感謝した。

パレルモにつくと、タクシードライバーは「特別サービス」と中心街をぐるっとまわり、駅で切符を買うのも手伝ってくれた。別れを惜しむとともに深く感謝すると、「セリヌンテの魅力を、日本の友達たちに是非伝えて欲しい。旅のホームページをつくっているなら、そこにセリヌンテや自分のことをのせて」と言っていた。今、タクシードライバーとの約束を果たしこうしてホームページにのせる事ができて本当に良かった。それにしても親切な運転手だった。




パレルモから、今度はセリヌンテでドイツ人に薦められたエオリエ諸島に向うことにした。エオリエへはシチリア北西の町、ミラッツオから船でわたることになる。ミラッツオにはブルマンでも行けるけれど、今度は気分を変えて電車を使うことにした。シチリアの電車は恐ろしく遅く、よく遅れる。唯一このパレルモから北西の海岸線を走る路線だけは交通量が多いこともあり、本数が多くて遅れもすくない様だった。また、シチリアに旅をしたことがある友人から、この沿線が海岸線を走っていてとても眺めがよいことを聞いていたので、一度乗ってみたいとた。友人の前情報通り、電車は海岸線を走り続け、青い海を飽きることなく見渡すことができた。夏に来てこんな海岸線でゆっくり滞在するのもよいのだろうなと思った。




2000年5月3日水曜日

シチリア一週間: セリヌンテの安宿で。


散策が終わると宿に戻り、テラスでのんびりとした。「何か一杯飲もうかな」と、安宿の息子さんに飲み物をオーダーしたところ「一緒に飲みにいくか?」と誘われる。疲れていたので、「No」とこたえると、真っ赤になって逃げていった。イタリア人のナンパには気をつけなさいというけれど、シチリアの男の子たちはとてもシャイな様だ。

しばらくすると、二人のフランス人旅行者が歌を歌いながら帰ってきた。ワインを買ってきたので、一緒に飲もうと誘ってくれた。二人は薬剤師をしていて、働いてお金をためては半年とか、一年とか長旅をしているのだそうだ。日本人は何故そんなに短い旅をするのかと聞かれたので、一つの会社でずっと働くのが普通なので、いちど辞めて長旅に出てしまうと、再就職が難しいのだとこたえておいた(ちょっと違うけれど、おおざっぱにいうとそんなことだろうと思う)。二人はパリジャンだったけれど、とても気さくで楽しい旅行者だった。何か日本的なことをしてくれというが、何も芸はないので、苦肉の策で二人の名前を漢字で書いてあげた。これがことのほか喜ばれ、自分たちも空で書ける様にと練習していた。


 
その後ドイツ人マダムの二人が帰ってきた。二人のマダムはドイツからイタリアまで車で南下し、さらにナポリからカーフェリーを使って渡ってきたのだという。ドイツ人は本当にイタリア好きだ。ドイツは北海道くらい寒いので、あたたかくなると太陽の光を求めてたくさんのドイツ人がイタリアにやってくる。二人のマダムはすでにシチリアを一周したらしく、「エオリエ諸島という火山島が素晴らしいのでいくといいわよ」とすすめてくれた。シチリアの火山というと近年にも噴火したエトナ山が有名だけれど、あまりも人が多く、気温も高いのであまり情緒がないようだ。ゆったりと散策できて、自然も美しいエオリエの方がおすすめということだった。シチリアはよい所だらけだで旅のしがいがあるなあ...。エオリエにも必ず行こう、と思った。

※宿の名前は結局聞かずじまいでした^^;。ただ、セリヌンテにはこんな感じの安宿をたくさんみかけました。豪華なホテルもたくさんありました。

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シチリア一週間: セリヌンテの漁港。

夕方になってもまだ明るかったので、セリヌンテの港町を散策することにした。民家の中では漁師たちが網を調えている。


港にはカラフルな漁船がならんでいて、美しい景観をつくっていた。海沿いには豪華なリゾートホテルやレストランもあったけれど、5月は閑散期ということで、とても静かだった。


「漁港に来たからには魚介を食べよう」と、そのまま海沿いのトラットリアで夕食を食べることにした。おすすめの魚介のパスタをオーダーしたところ、何とパスタより魚介が多い。シチリアは本当に食の天国だよ(涙)と、感動する。美しい漁港をながめながら食事できることも醍醐味だった。

シチリア一週間: セリヌンテの遺跡。

カステルヴェトラーノを経由してセリヌンテに着く頃には、ブルマンも主要幹線のものに比べると小さく古くなり、バス停にはタクシー乗り場もなく。こんなに奥に来てしまって果たして帰れるのだろうかと、つい心配になったりした。地元の人たちに遺跡やホテルへの行き方を聞くと、「タクシーを使わないといけないし、もう夕方近くになるからその場所にいくのは明日にしたら?」と言われる。「ちなみにタクシーのつかまえ方は?」と聞くと、「知らない」と明るく笑って去っていった。恐るべしイタリア人…。

やむを得ずおまわりさんに頼るとタクシーを呼んできてくれた。この町には全然タクシーがいないなと思っていたら、それもそのはず…。シチリアの地方の町ではタクシーの車体に目印となる様な看板やペイントがなく、普通の乗用車の状態で公認タクシーとしてのIDの様なものだけもって営業しているのだそうだ。だから普通の車とみわけがつかない。さっきバス停で近寄ってきた白タクらしき人々が実は公認のタクシーだということが分かった(恥)。

タクシーのお兄さんはとてもご機嫌で、「日本人がセリヌンテにくるのは久しぶりだ。こんなに美しいところなのにあまりやって来ない。ここの遺跡のすばらしさを是非日本に伝えてほしい。」と、エリチェのバス運転手と同じ様なことを言っていた。運転手は興奮して安宿を探して値切ってくれた上、「明日知り合いのおばあさんをパレルモまで送るので、2000円くらい出してくれたら同乗させてあげるよ」と言ってくれた。セリヌンテからブルマンで戻るには、再びカステルヴェトラーノ、トラパニと二回も乗り換えなくてはいけない。ブルマンだと乗り継ぎ時間を含めると丸一日かかってしまうが、自動車で直行すれば2時間半くらいでついてしまう。このドライバーには本当に感謝した。

宿はダブルで一泊3000円くらいのペンションで、素朴だけどシャワーもあり、こざっぱりしていた。遺跡までは少し歩くというころで、宿の息子さんがベスパにのせていってくれた。息子さんは20歳くらいの若者で、私をベスパに乗せていたために地元の若者たちに「日本人の娘を乗せているな」と道々はやしたてられて真っ赤になっており、恐縮してしまった。イタリア人男性というとナンパなイメージがあるけれど、シチリアの男の子はとてもシャイな人が多い。

セリヌンテのアクロポリスは、青い海と草原の中に建っていた。本土の遺跡の様にツーリスト用の策も掲示物も何もない。



シチリア大自然の中に、悠然とそびえたっていた。ギリシャの都市として栄えた時代が長かったということで、イタリアというよりはギリシャを思わせる遺跡だった。


これだけ雄大なアクロポリスの背景に海が見える景観というのはなかなか見れるものではない。まるで紀元前の昔にタイムスリップした様な世界だった。苦労してきて本当によかったと、心の中でオランダ人夫婦に感謝した。
 
 

シチリア一週間: トラパニ。

この日はオランダ人夫婦にすすめられたセリヌンテを目指すことにした。セリヌンテへは、トラパニからカステルヴェトラーノ、更にセリヌンテへとブルマンを二回乗り継ぐ事になる。ちょっと長い道のりになりそうなので、一先ずトラパニでランチを食べることにした。そういえば、この街はアフリカとの貿易港なので、アフリカ料理「クスクス」が食べられるという事だったな。そんな事を思い出しながらブラブラすると丁度クスクス屋があったので、食べてみることにした。私にとってのクスクスも珍しかったけれど、この店の人たちもクスクスを食べる日本人が珍しかった様だ。オーナー、料理人、奥さん、子供達全員に見守られながら初めてのクスクスを食べる事になった。


トラパニではまったく日本人をみかけなかったけれど、なぜか「サムライ」というパブの様な店があった。5月のシチリアは閑散期なので、トラパニは人通りがなく静かだったけれど、イースターにはシチリアでもっとも大きなお祭りが行われる様だ。また、トラパニの港から船でわたったところにエガディ諸島というところがあって、ここも海や自然が素晴らしいのだそうだ。

シチリア一週間: エリチェの朝。

翌朝、旅の興奮からかAM6:00にパチリと目が覚める。嬉しいことにとてもよく晴れている。エリチェは日中になると日帰りの旅行者がやってきてとても混雑するということだったので、朝のうちに散策をしてしようと思った。

エリチェの街は三角形でぐるりと城壁に囲まれている。小さな街の家々は昔ながらの石造りのままで、中世の町並みの様だった。もともとはエリミ人という山岳民族が築いたそうだけれど、ギリシャ、ローマの影響を受けたということで、とても洗練された雰囲気があった。昔のままの町並みの中に早朝一人たたずんでいると、時が止まっている様な気分になった。


 

城壁沿いを歩き、展望台を目指すと、街の人たちが「ボンジョルノ。パノラマはあっちだよ」と声をか
けてくれる。シチリアの人は素朴で、あたたかくて、とても親切だ。

パノラマでは、古城本体こそ無くなってしまったけれど展望台部分だけが残されていて、トラパニ、そしてアフリカを望む地中海をのぞむことができた。空気が澄んでいる事もあってか、ここからの景色は本当に絶景で思わず感涙してしまった。


そのままそこにしゃがみこんで声もなく、じっと景色を見続けていた。エリチェの街は小さく、見所も少ないけれど、この景色を見れただけでも本当に価値がある。
 


ホテルに戻り朝食をとろうとレストランへいくと、窓一面に、素晴らしい絶景が広がっている。



昨日は日も暮れていたので気づかなかったけれど、この窓からの景色こそがElimo Hotelの目玉なのだそうだ。シチリアというと皆タオルミーナを目指すけれど、逆の西側にもエリチェやその後にいったセリヌンテなど、美しい街がたくさんある。二度目のイタリア旅行をする人はこんな小さな街に訪れてみてもよいのではないかと思った。

朝食を食べると、数少ないバスが発車するというので街を出ることにした。ちょうどその頃には、パレルモから日帰りの観光バスが続々と到着していた。エリチェの街はホテルが少ないので、日帰りで訪れる人が多く日中はとても混み合う。朝、晩がとても静かで落ち着いてすごせるので、ゆっくり滞在したい人は一泊するのがおすすめだ。



バスでは最後に景色をみようと最前列に座ったけれど、海を見下ろす山道の景色もまた絶景だった。バスの座席は高いので、海のパノラマが飛び込んでくる様だった。バスは普通の基幹バスだったけれど、とてもすいていてほぼ貸切状態だったのでバスの運転手さんが運転しながらいろいろ話しかけ、エリチェについて解説してくれた。日本人はイタリア本土にはたくさん来るのにエリチェにはなかなか来ない、日本に帰ったらこの素晴らしさを是非日本人たちに伝えてほしいということだった。
 


<エリチェで泊まったホテル>
HOTEL ELIMO

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