2001年5月5日土曜日

南イタリア旅行記: 旅の終わり。

翌日はイタリア在住の友人と落ち合い、街を散策したり、スーパーに行ったりした。


ローマの自宅にもとめていただいた。この友人は、大学卒業後海外に飛び出して免税店をステップアップに、ローマに定職を得たのだという。さらに職場で知り合ったイタリア人男性と結婚し、明るくたくましくローマでの生活を楽しんでいた。箱庭の様な日本のビジネス社会に埋もれた私の生活もそろそろ見直さないと...。と、考えさせられる話だった。



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2001年5月4日金曜日

南イタリア旅行記: ローマの隠れ家ホテル " Hotel S.Anselmo"

今回の旅の終着点はローマにした。昨年のシチリア旅行中に知り合ったローマ在住の日本人女性に会うためだった。友人は自宅に滞在する様言ってくれたけれど、お子さんがまだ小さいので、ローマでの二日目だけ甘えさせていただき、初日は市内のホテルにとまることにした。ヨーロッパ旅行はいつも予約せずに飛び込みで宿をとったけれど、昨年ミラノでホテルが見つからず苦渋をなめたので、今回もローマだけはちゃんと予約していった。「今日は宿も決まっているから楽だね」と、テルミニ駅を降りると、タクシー乗り場には人の列ばかりでタクシーが全然いない。大変な行列ができていて随分待った。タクシーがいない、というより、列がちゃんとできていなかったり、タクシー乗り場がはっきりせず、タクシーが列の先頭より前で人をのせてしまったり...。要はみんながあわてててぐちゃぐちゃになっていることが分かった。そういえば今回の旅はとにかく移動がスムーズでかえってあわただしく旅をしたけどしてしまったけれど、本当はこれがイタリア時間だよねと妙に落ち着いた気分になる。

かくしてタクシーをつかまえホテルに向かったが、夜20時のローマの景観の本当に美しいこと。神殿や宮殿、彫像など、歴史的建造物が街中にあふれている。「ローマの休日」の頃の景色がまったく変わっていない。特に夜は観光客もホテルに帰って街が静まり返っていること、建物がライトアップされていていることから、とても幻想的な空間をつくっていた。

滞在先のホテルは、"Hotel S. Anselmo"という閑静な住宅地にあるヴェネツイアンスタイルのホテルで、昔の貴族の別荘を改造したものということだった。



窓からの景観がとても美く静かに滞在できるというのが魅力だった。


花が咲き乱れる中庭ではピアノの生演奏もしていて、滞在者も大人ばかり。ローマはとにかく賑やかな町だと思っていたけれど、こんな静かな滞在の仕方もあるんだなと思った。


このホテルでは、フィリピン風の品のいいボーイさんが対応し、荷物を運んでもらっても、翌日のタクシーを押さえてもらってもチップを受け取らない。心からホスピタリティのあるサービスをしたいからだという。三ツ星だけとかなりサービスのスタンスにこだわっているホテルの様だった。

<ローマで滞在したホテル>
"Hotel S. Anselmo"


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南イタリア旅行記: ナポリ

カプリからのフェリーでナポリに着くと、今まで田舎を周遊してきただけに、ナポリの大きさととてもごみごみしている事に圧倒される。特に道路の混雑ぶりはすごく、これでよく事故らないなと思うほど車とバイクがひしめき合い、信号などかまわずその中を人がガンガン渡っていく。こんな状況なので、とてもよく自己るのだそうだ。また、イタリア人は全般に賑やかだが、ナポリの人は他の地域以上に人の声が大きい。まるで大阪と築地とホーチミンが一緒になった様な町だなと思った。


港に降りた瞬間に圧倒されてしまったので、乗り継ぎの駅まではタクシーで行くことにした。


近距離だったがガイドブックの前情報通り、降りる時におつりが無いからチップにしてくれとドライバーに言われる。「チップにしては多いのでは?」と言い返すと、「道中海沿いのサンタ・マリア・デル・カルミネ教会を撮影した時、『ベスポジ』で止まってやったじゃないか。十分サービスした。」と更に反撃してくる。撮影といっても3秒くらい止まっただけなのだけど、本当に悪びれがない(笑)。「騙されてナポリ」かと思いつつ、こんなエピソードも旅の一コマとかと思う事にした。
 


カプリ島で予定以上に長居してしまったためナポリは駅と港を通りすぎて終わってしまったけれど、待ち時間にはとても美味しいかった。ピッツェリアで食べたらさぞかし美味しいのだろう。

南イタリア旅行記: カプリ島のビーチでのんびり ~マリーナ・ピッコラ~

「青の洞窟」はとってもよかったけれど、小船は観光船以上に揺れるので、洞窟を出ると船酔いの人で溢れていた。「青の洞窟」の船はとても揺れるので、決して前後に飲んだり食べたりしてはいけない。私も「アマルフィからの定期船→カプリ一周観光船→青の洞窟手漕ぎ船」と連続だったので船酔いしてしまい、漕ぎ手さんにお願いして洞窟横の小さな船着場で降ろしてもらった。

船着場上はカプリ島内ではかなりはずれの方だったが、それでもカフェや土産物屋は日本人観光客の大ごった返していた。ひとまず観光船と「青の洞窟」で一通りまわったので、あとはゆっくりしよう...と、マリーナ・ピッコロに移動して、ビーチでのんびりすることにした。「マリーナ・ピッコロ=小さい海水浴場」というだけあって、観光船からみた感じも他の大きめのビーチに比べて穴場っぽい感じがした。ちなみにマリーナ・ピッコロへはタクシーを使ったけれど、カプリのタクシーはすべて白のフィアットのオープンカーで気持ちがよかった。



マリーナピッコロは岩場で水の澄んだ海水浴場だった。


アマルフィ同様レストラン(とホテル?)系列のプライベートビーチがあったので、またスペースをかりる事にした。やはりちょっと穴場という事らしく、フランス人のマダム達が優雅に寝そべって過ごしている。少し場違いかなもと思いつつ、大人な雰囲気が気に入ってしまったので、終便までここで過ごすことにする。このプライベートビーチにはデッキチェア以外にもタオルのレンタルや更衣室、ボートなどのアクティビティがあった。


5月の南イタリアは日本の初夏くらい暑い。太陽の日差しと青い海の中飲んだキーンと冷えた白ワインは本当に最高だった。しばらく昼寝すると船酔いがおさまったので、ビーチ沿いのレストランで魚料理も食べた。オリーブオイルとトマトのソースであえた魚は本当に美味しいかった。


南イタリア旅行記: カプリ島 ~青の洞窟~

南イタリア旅行のうち、「カプリ、ナポリ、ローマの旅の記録」のリンク一覧です。(一覧の下から一つ目の記録が始まります。)
 
 ここから、「カプリ、ナポリ、ローマの旅の記録」の始まりです^^。
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残りの日数も少なくなってきたので、翌日はローマに近づくべく、カプリ島へと渡った。アマルフィから途中ポジターノで乗客を乗せつつ、カプリへと向う船がある。ポジターノは時間がなく寄れなかったけれどとても可愛くて美しい街だそうだ。特に恋人同士の旅行や新婚旅行にいいという事だった。

カプリへは比較的便の多いナポリ側から船で行く方法と、一日に三便くらいしかないアマルフィ側から船で入る方法と二通りあるけれど、時間が許すなら片道はアマルフィから入った方がよいと思う。ナポリからはひたすら海を直進するという感じで何も見えないけれど、アマルフィからは海岸沿いに独特の地形や小さな町を眺めながら景観を楽しむことができた。自然や海を楽しみたいなら、アマルフィ側もを試してみるのがよいだろう(ただし、アマルフィ側の船は日焼けと船酔いにに注意)。

1時間ちょっと船でいくとカプリの港についた。とにかく日本人の群れ、群れ、群れ(笑)。GWだからある程度日本人が多い事は予測していたけれど、観光客の半分くらい日本人だったのでかなり驚いた。船で日差しに打たれていたこともあり、クラクラしながら船に乗り込むと、「青の洞窟」を往復する船と間違えて、「カプリ島一周の観光船」に乗ってしまった。「カプリ島一周観光船」は、島の外からカプリ島の全景をまとめて周遊できるのでとても効率的で景観もよいけれど、カプリまで船で渡った人は連続での船旅になり、船酔いしてしまうのでお勧めできない。島を半周するくらいでものすごくたくさんの人が吐いているのを見かけたし、私もかなりギリギリだった。

「青の洞窟」へは手漕ぎ船に乗り換えて入っていった。昔は大きな洞窟だったのが、地盤沈下して入り口が狭くなってしまったというだけに、船頭も私達も腰をかかがめないと入れない。こんな小さな入り口に複数の小船が入りきれるのかと心配になったけれど、意外と奥行きが広いのには驚いた。狭い入り口から入った細い太陽の光が水中で屈折して、洞窟の中に反射して真っ青な光を放っている。人が多い場所という事なので実はあまり期待していなかったけれど、想像以上に幻想的な場所で驚いた。



私達が入る頃にはかなり海があれていて、その日の最後の便だったので(海があれると「青の洞窟」へは入れない)、小船の漕ぎ手達が「泳ぎたい人はどうぞ遠慮なく!」と長居してくれた。その便は陽気なアメリカ人が多かったせいか皆ノリがよく、たくさんの男女が海に飛び込みはじめた。小船に同乗した日本人女性が荷物を見ていてくれるということなので、私も思いきって飛び込ませていただいた。この体験はちょと恥ずかしいけれど、「青の洞窟」の中で、青い光につつまれながらポッカリと水の中に浮かんでいるのは本当に気持ちがいい。混雑時にやるのはちょっと...という感じだと思うので、オフシーズンの早朝か夕方を狙ってチャレンジしてみるとよいかなと思う。


※旅の記録の続きは、ページ左下の「次の投稿」をクリックください。

2001年5月3日木曜日

南イタリア旅行記: アマルフィの街と夜。

日が沈んだのでビーチから引き上げ、アマルフィの中心部へ行ってみた。海岸沿いから見ると小さな町に見えるけれど、大聖堂を中心に北上するロレンツォ通り、カプアーの通りと繁華街があったり、意外に奥行きが深く栄えている。アマルフィは「陶器の街」としても知られるらしく、可愛い陶器屋さんが多い。そして、旅行者が多く通りすぎるせいか靴屋さんも多くあった。丁度くつずれで悩んでいたのよね、とスニーカーを買いかえた。イタリアに行ったら靴を買えというけれど、食や宿だけでなく、靴の買い物にも当たりが多い。当時イタリアでかなり流行っていた「かかと無し厚底スニーカー」を購入してみたけれど、旅行中蒸れず石畳の刺激も吸収してくれてとても楽なので、今でも気に入って履いている(長めのジーンズをはけば丁度かかとも隠れる)。とうとう日本には上陸しなかったけれど、結構使えるのになあと思った。何かの記念日だったのか、突然、広場にマリア像を「みこし」の様にかついだ牧師があらわれ、セレモニーがはじまる。街をいく人たちが足をとめ、あたりがぴたっと静寂になる。伝統宗教も情緒があるなあと感慨深く思った。


"カプチーニ・コンベント"では、新鮮な魚をふんだんに使った美味しいディナーが待っていた。私のテーブルを担当したウエイターはサービス精神が旺盛で、給仕するたびに、昔日本人女性旅行者と恋愛した思い出を延々と話してくれた。



昼間はおだやかなアマルフィの海も、夜は波が激しくなるのか、部屋までさざ波の音が聞こえた。波音は心地よく、ぐっすりと眠ることができた。


<アマルフィで滞在したホテル>
HOTEL CAPPUCCINI CONVENTO

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南イタリア旅行記: アマルフィのビーチでのんびり:マリーナグランデ


"「エメラルドの洞窟」ツアーからアマルフィに戻ると、日が沈むまではビーチでのんびるすることにした。5月だったけれど、南イタリアは夏の様に暑いので、たくさんの人が泳いでいた。イタリアのビーチでは、海岸沿いのカフェやレストランの前がプライベートビーチになっていて、デッキチェアとスペースを貸してくれる。1000円くらいかかるけれど、地元の男の子達のナンパに脅かされないので静かに過ごすことができた。もちろん有料だけど、オーダーすると飲み物も出してくれる。昼寝したり、ちょっと泳いでみたりリゾート気分でのんびり過ごす事ができた。


私がスペースを借りたプライベートビーチは、閑散期ということもあって、アメリカ人の母子、ドイツ人、そして私の貸切だった。南イタリアでもアマルフィは比較的物価が高いので、地元の人たちはもっぱらアマルフィとサレルノの間の小さな海岸に滞在する様だ。アメリカ人達はよく話す、そして波うちぎわでよくはしゃぐ。ドイツ人達はおぼれるんじゃないかと心配するくらい遠くまでひたすら泳ぐ(海だけどクロール、そして競泳用ゴーグル付)。私は読書したりと、各々様々な過ごし方をして楽しんだ。

 

南イタリア旅行記: アマルフィ"エメラルドの洞窟"

"カプチーニ・コンベント"で少し昼寝をした後、アマルフィの海岸へ散策に出かけた。海岸沿いにはレストランがたくさんあって、ニンニクの美味しそうな香りを漂わせて賑わっている。さぞかし魚介が美味しいんだろうなあと舌鼓を打つ。とりあえず海岸沿いの流行っているトラットリアに入り、魚介のパスタを注文する。魚介には白ワインを!と思って頼もうとすると、なぜか隣のドイツ人のおばさん二人組に「ワインはやっぱり赤よ!」とすすめられた。ドイツ人にはイタリアの白ワインは辛いんだろうか?赤であれ、白であれ、太陽がサンサンとふりそそぐレストランのテラスで楽しむワインと魚介のパスタはとっても美味しかった。このドイツ人のおばさんは何日もアマルフィにいるという事だったので地域のおすすめを尋ねると、アマルフィから少しだけ船でいったところに「エメラルドの洞窟」があるという。カプリ島の「青の洞窟」程有名ではないけれど、それはそれで人が少ないので静かで良いよという事だった。船にのるのは大好きなので、早速おばさん達のすすめに従って、「エメラルドの洞窟」を目指すことにした。

アマルフィの港からは、カプリ島やソレントへ向かう中型の定期船と、「エメラルドの洞窟」行きなどの小さな観光船が出ている。「エメラルドの洞窟」観光は、海岸沿いをポジターノ方面に数km船でいったところにああって、洞窟内の見学も含めると1時間半程度のコースだ。



洞窟だけでなく、道中の海岸線の奇岩や、アマルフィ特有の地層について解説してくれたりとなかなか楽しかった。



洞窟につくと、更に専用の小船に乗り換えて船漕ぎが案内してくれる。何でも洞窟の海底の砂がエメラルドの様に澄んでいるので「エメラルドの洞窟」と言うそうだ。


ここの洞窟は鍾乳洞の様になっていて、舟漕ぎが鍾乳石の形にあわせてつけられた名前を漫才まじりに説明してくれる。カプリの「青の洞窟」に負けじ、ということなのか、船をゆらして乗客を驚かせてみたり、乗客の国籍にあわせてジョークを連発してみたり、いろいろと楽しませてくれた。「エメラルドの洞窟」はその神秘さをたてるため、海底に「うまぶねのキリスト像」が沈められていて、白い光をはなっていた。毎年クリスマスにはこの像まで潜ってキリストを讃える伝統的な行事が行われるそうだ。

南イタリア旅行記: アマルフィ、"ホテル・カプチーニ・コンベント"

"Palumboを出るとふもとの町、アマルフィへと戻った。まずは荷物をあずけて身を軽くしようとアマルフィの名所で修道院を改装してつくったという"ホテル・カプチーニ・コンベント"へと向う。"カプチーニ・コンベント"は、断崖絶壁の急斜面に一体化する様に建てられているアマルフィ名物の変わった建物だ。このホテルは高台にあるため、まずは道路からエレベーターであがり「天空うの回廊」をつたって、フロントへと向かう(この回廊はまるで海の上浮いている様!。写真がボケていて残念な限り...)。


フロントへの通路はちょっと長い坂道だけど、ビューリンゲンが美しく咲き乱れ、海の青とマッチして見事な景観を楽しむ事ができた。


フロントではシスターたちがおごそかに対応してくれてくれる。ホテルを経営しつつ、教会としてもちゃんと機能している様だ。祭壇や通路は修道院の状態がちゃんと残されたまま、客室、レストラン部分だけがホテル仕様に改装されている。昨日のPalumboとは対照的に質素だけど、とても重厚な雰囲気があった。

 ここでも飛び込みで部屋を確保することができた。日本のGWもイタリアでは閑散期なので、比較的部屋はかりやすい様だ。まだ昼過ぎだったけれど、早々に部屋を使わせてもらえることにもなった。ヨーロッパのホテルはこんなアバウトさがいいところだ。"カプチーニ・コンベント"では、修道女の部屋を改装してつくったというシングルルームに泊まった。



部屋は質素だけどとても風情があるし、海岸のさざ波の音も聞こえる。オフシーズンだったこともあるせいか、値段はかなりリーズナブルだった。なにより景観を見事だった。



<アマルフィで滞在したホテル>
HOTEL CAPPUCCINI CONVENTO

南イタリア旅行記: ラベッロの朝

翌朝、早朝にぱっちりと目が覚めて、ラベッロの町を散策することにした。


Palumboのチェックアウトは12時と遅いので、午前中はゆっくり散歩して遅い朝食を食べることにした。断崖絶壁のラベッロは夜景もきれいだけど、朝の景色はもっとすばらしい。真っ青な海がキラキラと光って、サレルノ湾やはるか遠くの入り江までみわたせる様になっている。明日はあの海に船で出ていきたいなと思った。


ラベッロはすべてが断崖絶壁で見晴らしがよく、まるで町中がテラスの様だ。訪れる人は大人ばかりで、皆のんびりと景観を楽しんでいる。アマルフィやソレントが騒がしかっただけに、まるで時間がとまっているかの様にゆったり過ごすことができた。


旅のオンシーズンには音楽祭なども行われるという。そんな時期をねらってゆっくり滞在してもよいのかもしれない。


2001年5月2日水曜日

南イタリア旅行記: ラベッロ "Hotel Palumbo"

南イタリア旅行のうち、「アマルフィ、ラベッロの旅の記録」のリンク一覧です。(一覧の下から一つ目の記録が始まります。)
 
 
ここから↓↓、、「アマルフィ、ラベッロの旅の記録」の始まりです^^。
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アマルフィへに着く頃には夕方になっていたので、バス、船の最終便でついた観光客で町はごった返していた。長い移動でかなり疲れていたので、今晩は静かに過ごしたいなと、アマルフィの更に上のラベッロという町に泊まることにした。ヨーロッパ人は高台や断崖絶壁を好む。高くて眺望のよい場所が高級な避暑地と思われている様だ。ラベッロはアマルフィ海岸ではもっとも高台にあり、大人の高級リゾートという位置づけの様だった。

ラベッロではたまには思い出になる様にとかなり奮発し、"Palumbo"という隠れ家ホテルに泊まった。このホテルはセレブ向けのホテルなので、リュックをせおった私は間違いなく門前払いだろうと思ったら、シーズンオフで空いている部屋があるし一人分ならディナーもすぐに用意できますよと気持ちよくとめてもらえることになった。これがミラノやローマでこのクラスのホテルだったら間違いなく断られるなあと、南イタリアの気さくさに感謝する。



"Palmbo"の海側の客室はいずれも断崖絶壁沿いにあって、アマルフィ、サレルノ湾をのぞむ絶景がみえる様になっている。内装はアラブ風で、白を貴重にした部屋、青を貴重にした部屋...とそれぞれインテリアが異なっていて、常連客を飽きさせず、楽しませている様だった。
 



荷物を降ろすと早速シャワーをあび、夕食を食べに行く。レストランでは断崖絶壁のテラスに席を用意してくれて、ローソクと港町の夜景の灯りをたよりにムーディーな雰囲気の中で夕食を食べる。ここのルッコラのサラダと魚料理の本当に美味しかったこと!今回の旅はずいぶんめまぐるしい旅だけれど、食と宿はあたりばかりだなとさらに満足する。

 



夕食後、部屋に戻るとメイドさんがいそいそと戻る姿。どうやら夕食を食べている間に、シャワー室や部屋を掃除してくれたらしい。バスローブやタオルも新しくなっている。「まるで日本の高級旅館みたい」だなと思った。

夕食後、Palumboの沈みそうなベッドでまったりしているとロビーから電話があった。「ラウンジでピアノ演奏をはじめます。カクテルも用意していますので、でよかったら聞きにきてください」とのこと。世界のトップホテルはさすがですねえと感動する。今回の旅はこれまでにない贅沢旅行だけど、ストレスから開放されて元気になってよかったよ...と、しみじみ振り返る。ピアノ聞きにいかなきゃねと思いつつ、そのまま快適なベッドの中で眠りに落ちていってしまった。


※旅の記録の続きは、ページ左下の「次の投稿」をクリックください。


<ラベッロで滞在したホテル>
HOTEL PALUMBO
※大変お高いのでご注意を...。どちらかというとハネムーナー向けかと思います。


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南イタリア旅行記: サレルノからアマルフィへ

ベネベントからサレルノへは1時間半ほどでついた。サレルノは意外なことに近代化されていて、あまり歴史的趣がなく、開発されつくした日本の海水浴場にいる様な気分になる町だった。南イタリアで妙に浮いたこの空間は、度重なる地震、地すべり、そして対戦中に米国軍の上陸地となったこともあって、昔の町並みが残されていないのだそうだ。


サレルノのバス停は思い思いの海岸へ向かう旅行客でひしめきあっている。たくさんのバスが発着するが、何故かバス停らしき看板がない。切符はその辺のタバコ屋で買うということだが、店によって売っていたり売っていなかったりいろいろだ。何とかイタリア人の助けを借りてバスに乗り込む。皆よくこれで迷わないと感心する。
この一日はかなり動きまわったので、あとはのんびり景色を楽しむだけ...と思っていたら、更に思わぬ試練が待っていた。サレルノからアマルフィまで50kmの海岸道路は断崖絶壁沿いにあり、ヨーロッパ屈指の景観をほこるといわれている。青く澄んだ海と入り組んだ入り江は本当に絶景だ。しかし道は細く、更にイタリア人の運転はとてもチャレンジングなので、窓側に座るととても怖い(涙)。断崖絶壁の道路の脇すれすれを走るので、場所によっては地面が見えず海の上を走っている様な気分った。

南イタリア旅行記: カンパーニャへの道

翌朝ホテルのスタッフに駅まで送ってもらい、今度は急行列車でカンパーニア地方へとむかう。田園風景、海...、イタリアの車窓は本当に癒される。東京でのバタバタが嘘みたいだなあと、のんびり窓の外の景色を楽しんだ。昼食時には食堂車にも行ってみた。食堂車とはいえ、ちゃんとパスタ、ワインも美味しい。イタリアはこれだからよいよねえと感動する。

プーリアでイタリアの田舎を楽しんだ後は、今度は大人の避暑地「アマルフィ海岸」を北上する事にした。アマルフィ海岸の付け根「サレルノ」へ向かうため、「ベネベント」という駅で電車を乗り換える。システルニーノから一枚の切符だったのでてっきり電車かと思ったらバスだった。このアバウトさがイタリアらしい’’’。

乗り継ぎが1時間だったので、他の乗客とともにベネベントを散策する。小さな町だったけれど、近世まで教皇の統治下にあったそうで、大聖堂、オベリスク、ローマ劇場など、一通りの見所があった。

2001年5月1日火曜日

南イタリア旅行記: "Villa Cenzi"の夕食。

Villa Chenchの夕食は、想像を絶するほど程美味しく、とても充実していた。生ハム、パスタ、そして肉料理...。太陽の恵みをうけた南部イタリアの素材と家庭料理のよさがとてもよくいかされて、素晴らしい内容だった。宿泊費も朝食、夕食込でリーズナブル。交通の便はちょっと悪いけど、レンタカーでまわる人には是非おすすめしたい宿だなと思った。

 
 
<宿泊したホテル>
VILLA CENZI


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南イタリア旅行記: オストゥ-ニ

帰りの電車の中で、聞いたことのある町の名がアナウンスされる。白亜の街、オストゥ-ニだ。ああ、ここにも行ってみたかったんだよなあ。今日はたくさん歩きまわったけれど、もうこんな場所には来れないかもしれないからと、電車を飛び降りる。Villa Chenchの夕食までにはまだ少し時間があった。いつもは一つの場所にのんびり滞在型なのに、今回はいつになくアグレッシブに動きまわる自分に驚く。東京で余程ストレスたたまっていたんだなあと実感する。

まったく余談だけれども、オストゥ-ニの駅には5匹くらいの大きな犬が住みついていて、駅の出口にデーンと横たわって、本当に死んだように寝ていた。首輪をしてないので、多分飼い主とかいないのだろう。間違って踏んでしまって噛み付かれた人とかいないのかなあと心配になるが、南イタリアではこんな風に犬たちが普通に駅に住みついていたりする。

そこそこ有名な観光地のはずなのに、待つ事30分、ようやく一台のタクシーがやってきた。南部イタリアの田舎町は点在しているので、レンタカーが無いと結構つらい。東京に異動してから、すっかりペーパードライバーになってしまった自分を恨んだ。



オストゥ-ニの街はとてもドラマチックに登場した。田園地帯をタクシーでいくと、ふと中に丘の中に、白亜の街が現れる。アフリカ、ギリシャ両方の影響をうけたと思われる、とてもエキゾチックな町並みだった。
 


街の中に入っていくと、思いのほか観光客がたくさんいることに驚く。システルニーノと似ているが、規模はとても大きい。立派な大聖堂を中心に入り組んだ白い町並みが続き、お洒落なカフェやギャラリーもあった。手ごろはなホテルもたくさんある。本当は一泊くらいしてもよい街だなあと後ろ髪ひかれつつ、Villa Cenziへと戻った。